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ドリーム小説 鈍色の青空


毎朝、今までの事は全部夢だったのだと祈るように目覚めるけれど、目を開けて、横たわっているのが親に買ってもらったフランス製のベットの上ではなくて、固くて薄っぺらい煎餅布団であることに、懲りずに絶望するのだ。


「忍者さん・・いますか?」
は男の名を知らない。出で立ちから勝手に忍者さんなどと呼ぶが、男は何も言わないので、そのままそう呼んで いる。瞬きしている間に、どこから現れたのか迷彩柄を基調とした忍装束を身に纏った男が現れた。流石のもここ一か月で慣れたのか、驚きはしない。そもそも、一か月という感覚すら曖昧なのだが。
「あの・・」
「・・なんだ?」
「トイレ・・・じゃなくてか、廁行きたい・・・・」
それにお風呂に入りたいとぐずぐずしていると、無言のまま軽々と抱き上げられる。
「ぎゃっ、自分で行けますからっ!」
怯えて突っぱねようとする。暴れるなと男は言うが、体が勝手に反応するんだから仕方がない。勢い余ってぐらりとのけぞりそうになる体を、少ない腹筋でなんとか耐え、逆さになる前に目の前の首にしがみ付いた。
「身体が痛いんじゃないのか」
「っ!だっ誰のせいだと!!」
変態!馬鹿!と思いつく限りの罵詈雑言を浴びせやるが、男にとっては痛くも痒くもないのか、涼しい顔をしている。切れ長の目はこちらを見ようともせず、真っ直ぐ厠に突き進む。
「耳元で騒ぐな五月蝿い。だから連れてってやるんだろ。湯はない。裏の井戸で我慢しろ」
ぐっ、と詰まって、は抵抗を止める。
「お礼・・なんていいませんよ。・・・ヒドイことしてるの、そっちじゃないですか・・」
「素性の知れぬお前が悪い」
「だから言ってるじゃない!毎回!」
なんなんですか!腹が立って、しがみ付いていた手で髪を引っ張ってやりたくとも、男の髪が短過ぎてうまく掴めずそれもできない。厠の前に降ろされて、あっちいって!といえば、男は忍らしくまた、ふ、と姿を消した。


あの日、突然目の前に現れたを、男は非情な振る舞いで暴いた。
引き倒されて、恐怖で遠ざかりそうになるの意識を戻すように、男は耳元で囁いた。お前は誰だ、何者だ。何故ここにいる、本当の事を言えば止めてやると。ひくつく喉から声を絞り出し、私はくノ一なんかじゃない、ここは京都じゃないのか、私は学校に行こうとしていただけだと説明しても、、嘘を付くなと男はの名以外の全てを否定した。ここは京などではない、信濃の山奥だ、何処の間者か織田か豊臣か徳川か、 そんな事を言われても、が知る筈もない。徳川とか織田とかそんなの四百年も前の事じゃない!頭おかしいんじゃないの!これ以上した ら訴えてやる!そんなことを叫んだ気がする。自分は間違ってなんかいない、嘘なんか言ってない、どうして信じてくれ ないのと、自分を凌辱する男の何に希望を持っていたのか、そればかりを考えながら、止むことのないその理不尽な行為 に只管耐えていた。急にやって来た引き裂かれるような痛みに混乱は頂点を極める。そこからはあまり覚えてない。訳も分 からずただ泣いていたように思う。だって、今日はの二十歳の誕生日だった。それが、どうして。初めてがこんなの、あんまりだ。こんなのは、酷い。こんなのは―――

いつの間にか気を失っていた。次に気が付いた時には、は空を飛んでいた。ジャンプしていたというのが正しいのかもしれないが、男の肩に後ろ向きに担がれて、 建物から建物へ、木から木へと飛び移りながら、その度にふわ、ふわと出来る一瞬の無重力状態に、臓器が浮くような 感覚に吐き気を覚える。こんなの人間業じゃない。こんなことができるのは。まるで漫画の世界じゃないか。 もの凄い速さで遠のいていく景色に、は目を見張った。映画村のような、時代劇のロケセットのよう景色がどこまでも広がる。規模がセット の比ではない。これはちゃんとした街だ。なんなのこれ、信じられない。その刹那、蘇った記憶に、すっと体中の血 が引いていった。身体が軋む。それは、確かに気を失う前、夢うつつの中で聞いた、夢物語のような男の話。それこそ が真実であったのだと知り、気が遠のきそうになった。男が正しかったのだ。京都なんかではない、しかも、現代でもない。の知らぬ、別の場所だった。何がどうしてこうなったかなど、最早愚問だった。
連れられた大きな屋敷で、赤い変な格好をした男に会った。赤い男は真田源次郎幸村と名乗った。何処かで聞いたこと のある戦国武将の名だと思ったけれど、思い出すのも億劫だった。赤い男が言うには、今は乱世、戦国の世である。ど こからきたのか、親御殿が心配されておるのではないか、送ってやる故、そんな様な事を色々と聞かれた気がするが、 心ここに非ずのは、はい、はい、と壊れた人形の様に返事を繰り返すだけだった。
ここは自分の知らないどこか遠い世界だ。 気持ち悪い、頭が痛い。二十歳の誕生日に操を奪われたことよりも、なによりも、この現実こそがを打ちのめした。要領を得ないからは何も聞き出せないとわかったのか、抜きで話が進む。赤い男は結局を、記憶を失った可哀想な女とでも思ったのか、忍隊で調べてやれ、身形がよいので、いいとこの大店の娘やもしれぬ。 取りあえず身元がわかるまで、お前が責任持って世話をしろと、 男に言った。はっとして、男を見た。忍隊というからにはやはり見た目通り忍なのか。男はこちらを見もせずに、 冷たい顔で前を向いたま、忍らしく主の命にただ、承知と答えた。臆病者のは、言葉を失う。頭に浮かんだのは、打算の一言。ぬくぬくと育ったは、ここで生きるすべなど知らない。こんなところで野垂れ死にたくない。想像して現実味を帯びる 死。それより恐ろしいものなどあるのだろうか。この男といれば、衣食住が保障される。 それなら。そう思った自分はもう狂っていたのかもしれない。

また担がれて戻ったのは、あの山小屋だった。男はの考えなどお見通しなのか、抵抗しないと分かっていて、帰れば気まぐれにを抱く。昨夜、四日振りに戻った男は、戦でもしてきたのか、迷彩柄の装束が柄も分からぬほどに乾いた血で茶 色に染めて、間違いなく人を殺めたその姿そのままに、を幾度も抱いた。錆びた臭いに吐き気を覚えながら、いつものようにきつく目を瞑って全てが通り過ぎるのを 待った。心だけを置いてけぼりに、男の与える快楽に従順なっていく身体だけがどこまでも、どこまでも暗闇の底に落ち ていく。生きる屍に成り下がった自分は、もう二度と、元の世界には戻れないそんな気がした。暗闇の中、確かなものは、 ただ目の前の男の少し冷たい体温だけだった。



用を足した後、文字通り腰抜けの状態のまま一人でなんとか井戸まで歩く。釣瓶を投げ入れ、縄を引く。初めは上手くできなかったが、なんとか上まで水を持ち上げられるようになった。井戸の水は夏でもとても冷たかった。どうせこんな山奥、人もいないんだからと、そのまま気にせずに、着せられている浴衣の様な着物を適当に脱ぎ捨てて、ざばっと頭から水を被る。それを何度も何度も繰り返し、唇が紫になっても止めようとしない。これで全てが洗い流されて、何もかもがきれいに戻ればいいのに。結局そんなのは、妄言でしかなく、何も変わりはしないのに。結局忍がまた現れて、別の着物でをくるんで、抱き上げて小屋に戻る。そんなことの繰り返しだった。男の肩越しに見上げた空は、太陽が輝いて、綺麗な青色をしているはずなのに。それも、今のの目にはどこかくすんだ鈍色に映るだけだった。

2012.09.13