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ドリーム小説 優しい時間



三年目の初夏、今年三歳、ここでは四歳になる大助は、少し早目の袴儀を迎えた。昨年、大助は麻疹、水疱瘡と病に罹り、 躑躅ヶ崎館では皆、酷く緊張した日々を過ごした。も寝ずの看病が続いた。この時代、人は病で簡単に命を落とす。幸い大事にはならず、病は無事完治し、今はもう、何事もなかったかのような、平穏な日々を送っている。小さかった大助も、今ではの腰程までに背丈も伸び、袴儀を終えた今、少しずつ始まった武家の教育というものを、は静かに見守っていた。


「ととさまー!」
午前、城下の視察を終えた幸村が、私室の前まで戻ったところで、ととさまぁ!と大助が、 廊下の向こうから駆けてきた。目の前で止まるのかと思いきや、勢いそのままに、「ととさま、おかえりなさいませっ!」 と目を爛々と輝かせながら、幸村に突撃してきた。軽く受け止めるつもりが、思わぬ力強さにぬお?!と後ろに数歩よろけながらも、 ここで倒れる訳には行かぬと、父、幸村は踏んばった。「お待ちください若君様〜!」と声が聞こえて、 顔を上げれば、数人の大助付きの女中らが、息も絶え絶え後を追ってきている。恐らく、駆けまわる大助に振り回されたのだろう。 幸村に気が付き、ぜえぜえと肩で息をしながら膝をつく様は、何と申せばよいのやら、 最近ますます小さい頃の誰かさんに似てきたなどと、佐助に嫌味を言われるのも、確かに確かにその通りで、 反論の余地もない。幸村は、幼き日のわが身を省みて反省しつつ、きりりと表情を引き締めた。
「大助。お主も袴儀を終えたのだ。何時までととさまと呼ぶつもりか」
「はい!えっと、ち、ちちうえ!」
今度はその名を呼ぶのに照れたのか、ちちうえ、ちちうえと呼んでは、くふふ、と嬉しそうに含み笑いをして、 ぐるぐると父の周りを走り回る。
「少しは大人しくしておられぬのか!」
「ちちうえ!ちちうえ!おすもう!しょうぶでございます!」
反省のはの字も見せない大助は、幸村の足に抱きつくと、今度はぐいぐいと押してきた。
「人の話を聞いておるのか!むむ、う、お、」
婆娑羅者の血なのか、とても四歳の幼子とは思えぬ押しの強さだ。
「まけませぬぅっ!」
「父に勝とうなんぞ十年早い!」
襟足を掴みあげ、足からぺりっと剥がす。わあっと声を上げた大助を無視して、一気に己の目線まで持ち上げた。 ぶらんと吊るされた状態の我が子の目をじっと見て、これ、と仰々しく眉根を寄せて見せる。
「おぬし、相撲など取っておる暇があるのか?そろそろ手習いの刻限ではないのか?師を待たせるなど、以ての外だぞ」
「あっ!」
思い出したのか、幸村が下ろしてやると、「ちちうえいってまいります!」と、ととと、と急いで駆けて行った。そのあとをまた、 先程の女中らが慌てて追いかけて行く。入れ替わるように、盆を持った多岐が、失礼いたしますると、やって来た。
「外は暑う御座いましたでしょう。水をお持ちいたしました」
渡された水は、井戸から汲みたてなのか、よく冷えていて、「いつもすまぬな」と幸村は、ごくりごくりと、一気に飲み干した。 思わぬ仕合いに、結構な汗を掻いた気がする。小さき体相手には、加減相手が難しく、大人相手よりも余程疲れる。
「先程、廊下で若君とすれ違いました。元気がよろしいのは良きことに御座いますれど、」
あの様子では、若君付の女中は、若い者でないと務まりませぬな、と多岐が申すに、まことあやつは嵐のようだと、幸村は口を拭って椀を返す。
「若君は、手習いのお時間で御座いましたね」
「ああ。だがあの様子では、真面目に取り組んでおるのか、些か心配だ。ううむ、今日の政務は粗方片付いた故、様子でも見て参ろうか。 其方等も、もう下がってよいぞ」
それを聞いた、多岐が、
「弁丸様は、よく逃げ出しておられましたなぁ」
と、しみじみ昔を懐かしんでいると、
「大助は、俺だけに似たわけではないぞ・・・」
主に言われ思い返せば、奥方様は、一人馬に跨り単騎駆けもすれば、賊とあらば薙刀を振り回し、誰であっても物怖じせぬ、 なかなかに豪儀な方であった。
「確かに、」
これは失礼致しましたと、ほほほと笑って、多岐は深々と頭を下げた。




様子を見て参るとは申したものの、邪魔をしては本末転倒。まだまだ幼い大助は、己が姿を現せば、 気が散って集中力を欠くであろう。あれでなかなか人の気配に敏い子であるので、幸村は辺り一体の室内を見渡せる、 庭の少し離れた場所から、そっと様子を伺う。大助は師と文机に向かい、何を書いているのか、一生懸命筆を走らせている。 何れは年近い家臣の子弟らと、寺に通わせ共に学ばせようと、将来に夢膨らませながら、暫く見ていた。 さて満足と私室に帰ろうとして、ふと、別の一室に見つけた人影。 幸村の足は自然とそこへと向いていた。
開け放たれた室内で、足音にも気づかないのか、は布を手に、一心に何かを縫っていた。よく見れば、それは以前幸村が、大助にと下げ渡した小袖のようで、 解いて仕立て直している最中なのか、一針一針静かに縫い続けるその横顔は、母のような慈愛に満ちていて、されどどこか 憂いを帯びている。幸村は目を離せず、声を掛けるきっかけを失って、しばらくそのまま立ち尽くしていた。視線に気が付いたのか、がふと、顔をこちらに向けた。
「幸村様?」
は手を止め、端近まで出てきたので、幸村もそのまま歩み寄り、縁側に腰掛けた。
「あ・・・いや、すまぬ、邪魔をしたか?」
「いえ、そんなことはありません。何か私に御用でしょうか?」
「いや、用という訳ではないが・・」
ここは日が当たって暑いですから、お上がり下さいと、促されるままに草履を脱いで、「入るぞ」と、なんとなし律儀に一 声かけてから、中に入る。座りながら、が横に避けた縫物の山を、ちらりと見遣った。
「今度は何を縫うておるのだ?」
「大助様に夏用の遊び着をと、」
「いつもながら、の作るものは変わった形をしておる。股繰りが随分と深いな」
「普通の袴では、木に登られたり、駆けまわったりされる間に、破れたり穴が開いたりしてしまいますので・・・、」
「破いたものを繕うだけ十分だぞ。質素倹約は武士の務め。俺も大助に贅沢を覚えさせるつもりはない」
「も、申し訳ありません・・・」
さして幸村は叱ったつもりもなかったが、甘やかし過ぎだと叱られたと思ったのか、はしょんぼりと肩を落としてしまった。の唯一の趣味が、我が子のための縫物だと、幸村は知っている。子の成長は早い。少しずつ手を離れ、増えて行く一人の時間は、 それでも大助の為にと、手を動かすのだろう。幸村とてやめさせるのは本意ではない。 それに、の作るものは、変わった趣向の物が多く、特に小物などは便利な品が多い為、出来上がりを見るのは、 幸村も実は楽しみだったりする。少々意地悪が過ぎたかと、こほんと一つ咳をして、
「確かに、ここ数か月で幾分か大きゅうなったやもしれぬ。されば致し方ない。其方の好きなようにするがよい」
「は、はい、ありがとうございます」
胸を撫で下ろしたを見て、互いにほっとしたところで、
「ところで幸村様、本当に御用はないのですか?」
用もないのになぜここに?と言いたげにが見てくるので、用がなければ来てはいけないのかと、幸村は、少しだけ、なんとなく、なんとなくだが、の他人行儀なところが、今日に限って気に食わない。
「う、うむ。粗方今日の執務も片付いた故、息抜きをしておるのだ」
「息抜き、に御座いますか。ではなにか、お飲物でもお持ち致します」
「よ、よいのだ、そのままで」
立ち上がりかけたを制する。は、困ったようにまた、腰を下ろした。
「でも・・」
「其方も少し休め」
「いえ。それより幸村様、このようなところで休むより自室に――」
「此処の方が風通しもよく、涼しくて気持ちがよい。少々休む故、起こすでないぞ」
えっ?と驚くを尻目に、幸村は自分の腕を枕にさっさと横になると、目を瞑ってしまった。
「幸村様、いけません!このような所で、」
「煩いぞ、寝られぬではないか」
目を閉じたまま口をとがらせる幸村に、慌てて、
「さ、佐助さーん・・・」
と、が助けを求め天井を見上げても、「佐助ならおらぬ。京へ使いにやった」と、寝転がったまましれっと答える幸村に、はもうそれ以上言うのを止めた。主の警護の為に天井裏に誰かしらいるのだろうが、どうせ佐助以外に、 幸村にどうこう遠慮なしに物申せる者は、いないのだ。は、諦めたようにため息をついた。そのまま立ち上がって、ごそごそ何かを始めたようだが、幸村は気になりつつも、 目を開けずに、耳を澄ませて様子を探っていた。今度は自分の近くまで足音が近づいてきて、何かがフワリと体の上に掛けられた。
「いくら初夏とはいえ、そのまま寝ては風邪を引いてしまいます。こういう無頓着なところは、親子そろってよく似ておられますね・・・」
は呆れたように、けれども少し嬉しそうな声音でそれだけいうと、またもとの位置に座り、針仕事を再開した。 休めというたのに。幸村はそんなことを思いながら、掛けられた小袖の中に潜る。温かい。いい香りがする。 それが自分の送った萌木色の小袖だと気が付くと、なんとも言えない、ふわりふわりとしたよい気持ちになって、 幸村は吸い込まれるように、夢の中へと落ちていった。

強い湿り気を帯びた風が、山々の緑の蒸した香りを運び、室内をいっぱいに満たす。本格的な夏の到来は近い。は大きく深呼吸をすると、再び作業を始めた。ちくちくと針を通す小さな音と、時々ぱちんと糸を切る音が 静かに響く室内は、何処か懐かしい、幼き日の夢の世界の様だった。ううん、と時々寝言のような吐息を漏らす主に、 くすぐったさを感じて小さく微笑みながら、は再び、静かに手元を動かし始めた。



2012.11.15



おまけのその後



「・・・・・」
「お目覚めになられましたか?」
すぐには意識が覚醒せず、幸村は に身を起こす。
「・・・・どれほど寝ておった?」
「半時、ほどかと」
「そうか・・・」
何かいい夢を見ていた気がする。ぬくぬくと温まった体は、溶けて、無くなってしまったのではないかと思う程心地よく、幸村の意識はもう少し、 もう少しだけと、目覚めることに抵抗をみせる。負けずにのそりと身を起こした幸村は、節々を伸ばそうと、そのままふらりと、立ち上がった。 幸村の足元にぱさりと落ちた小袖を、は拾いながら、喉が渇いていないか、声を掛けようとして見上げた幸村の顔を見て、目を丸くした。
「幸村様、幸村様、」
「なんだ?」
「ここに、涎の跡が」
そういってが、自分の頬をとんとん、と指す。それを見て、幸村は完全に目が覚めた。
「なっ、なんと」
慌ててごしごしと頬を擦る。
「そんなに擦ったら赤くなりますよ。今手拭いを濡らしてまいりますから、こちらでお待ちください」
「う、うむ、すまぬ」
とすんと、胡坐を掻いて、赤くなった顔を隠すように、俯いて座り込んでいると、ほどなくしてが戻ってきた。「どうぞ」と濡れ手拭いを渡されて、まだ赤みの引かぬ顔で、幸村はそれを受け取とった。 照れ隠しのように、つい乱暴にぬぐってしまい、またに「子供のようですよ」と、笑われたのだった。