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ドリーム小説 欠ける月


、か?」
「・・・幸村様、」
幸村が傍らまでやって来ると、ほんの少し、その表情が見えた。
「すまぬ、驚かせてしまったか」
「・・・いえ。灯りも持たずに来られたのですか?」
「俺は夜目がきく故。そういう其方こそ、」
「持っては来たのですが、不注意で消してしまって。あの、水、お汲みしましょうか?」
誤魔化す様に、が釣瓶を手に取れば、
「いや、自分でやる故、気を遣わなくてよいぞ」
幸村はから釣瓶を受け取ると、慣れた手つきで水を汲み上げる。その辺に置いてあった柄杓で掬い飲めば、とふうと息を付いた。
「それよりどうだ、日中少しは眠れたか?」
もう一杯と飲みながら、幸村が問えば、暫くして細い声で、はい、と返事があった。月のわずかな光に照らされて、の頬に光るものを、幸村は見た気がした。手が勝手に動いた。避ける様に身を引いた身体を、 追いかけるように伸ばした骨張った指先が、迷わず、の頬に触れた。数年前、一度だけ触れた柔らかい頬は、しかし、随分と痩せてしまった気がした。
「如何した、何かあったのか?」
「・・・・・いいえ、何も、」
静かに、淡々とは言った。では、今もなお、暖かく流れ落ちてゆくそれは、何だというのか。いつもと違い、俯いて、は目を合わせようともしない。それに酷く傷ついている自分を、幸村は感じていた。親指で頬をなぞり、涙の感触を確かめて、 少しだけ掌に力を込めて、顔を上げさせた。視線が重なって、幸村は己の心臓が大きく脈打つ。の瞳は、夜闇よりも更に深い闇色を湛え、ゆらゆらと揺れていた。
、何があった、」
ふるふると、は小さく首を横に振る。は今、自身がどんな顔をしているのか分かっているのだろうか。夜目が利く幸村には、見えていた。俺の前で、 そんな哀しい目をするな。酷い喪失感が幸村を襲った。にその様な顔をさせるのは何か、怒りとも言えぬ、嫉妬や羨望にも似た感情が、湧き起こる。触れた所が、酷く熱い。 どろどろと、綯交ぜになった感情が訳も分からず高ぶって、目頭が熱くなった。幸村が思わず肩を掴むと、がびくりと震えた。
、俺、は、」
「優しく、しないで、下さい、」
絞り出すような声で、
「お願いです・・・」
ただ、お願いです、と、苦しげに繰り返される、小さな懇願。理解が追いつかない、力の抜けた幸村の拘束から、はするりと抜け出した。失礼しますと逃げるように暗闇に消えていく後姿を、幸村は呆然と、眺めていることしか出来なかった。



「優しくするなとは、何故あのような事を申すのだ・・・。乳母は家族も同然、左様な事は出来ぬ。一体どうしろというのだ・・・」
自室に戻った幸村は、褥の上に胡坐をかいて、一人項垂れていた。考えても考えても、何の答えも得られはしない。ただ、あのの哀しい表情が、声が、脳裏にこびり付いて離れない。
「旦那、寝られないの?」
「佐助、」
頭上から声がして、ふらりと顔を上げた幸村は、いつの間に現れたのか、目の前に立つ見慣れた忍の姿を見て、情けなく眉を下げた。 佐助は、幸村と向かい合うようにして座った。
「なに悩んでるの?上様の書状の件?」
「ん?ああ、その話か。それも考えておるが・・・、」
夕刻、佐助が京より持ち帰った信玄の書状は、確かに幸村に衝撃を与えていた筈なのだが、今はそれすら霞むのか、ああ重症だこりゃと、 佐助は額を手で抑えた。
「上様が直々に、旦那のために選んでくれたんでしょ?歳は十六、家柄良し、武道も嗜むなんて、旦那好みじゃない?おまけに美人、 何を躊躇うのさ」
「上様は、俺の意思に任せる、急がずともよいからよく考えよと仰せだ。俺のために、そこまで考えて下さっておられるというのに、な。 このままでいたいとなどと、俺は・・・、考えてしまう」
「でも、このままでもいられないっていうのも、わかってるよね?もう何年経ったと思う?旦那程の大大名が、いつまでも妻無し、子も一人って いうんじゃ、家中の者も不安に思うさ。若様だって、まだまだ幼いんだ。その事を考えれば、直ぐにでも母君が必要なんだよ。 奥向きのことだって、 今は多岐さまが仕切ってくれてるけど、本来なら、正室がやるべき事だ。お家の為にも、新しい奥方を娶って、 皆を安心させてやること、それも領主の務めだってこと、今の旦那なら分かってるはずだ」
「分かっておる!分かっておるが・・・、」
佐助は顎を掻いた。なれば、この有り難い縁談に、二つ返事で了承できぬ本当の理由を、幸村は本当に、気付いていないのだろうか。
「この話はまあいいや。それで、悩みの元はさん?」
幸村が苦々しげに呻いた。
「見ておったのだな」
「警護の為だよ。他意はない」
そう佐助が言えば、幸村はすまぬと呟いた。
「ならば其方も聞いたであろう、が申したことを、」
俺には、の心が、分からぬ・・・。そう言った幸村に、佐助は思い切って、口にした。
「家族も同然って思ってるんでしょ?そんなに気になるなら、いっそのこと側室にしたら?そしたら本当の家族になれますよ」
「何を申すか!」
くわっと目を見開いて、喰って掛からんばかりの勢いで身を乗り出され、佐助は思わず仰け反った。
「何をって・・・、別にからかってるわけじゃないよ旦那。真面目な話。乳母を側室にあげるなんて、別段、珍しい話でもないでしょうが」
「俺は側室はとらぬと、前にも申したであろう!それに、は、・・・・」
もごもごと何かを言いかけて、目を泳がせた後、再びだんまりと俯いてしまった。今度は佐助が身を乗り出し、
さんが?」
何?と顔を覗き込む。
「・・・・・わからぬ」
「わからないの?」
「ただ、いつまでも、ここに居てくれれば良いと思う。それだけだ。大助もあれを、実の母の様に慕っておるではないか」
大事なのはそこじゃないだろ・・・と佐助は思うものの、幸村の言う事は、その実、彼の心理をよく表している気もした。 心を知りたいと思うのは、憎からず思っているからだ。此処にいて欲しいと願うのは、佐助に言わせると、それはもう――。 けれども、それが本当にそうと言い切れないのが我が主で、真田幸村という、色々と不器用な男だった。 さてどうしたものかと、佐助は頭を捻る。
「いつまでもって・・・、そうは言ったってさ。さんにだって好い人が現れて、ここを離れる日がくるかもしれないよ。そうなったらどうすんの?」
言われて初めてその可能性に気が付いたのか、幸村は絶句している。実際、あの独眼竜などは、甲斐に来る度、にちょっかいを出している。気があるのかと思いきや、それが単なる好奇心で色を含まぬものだから、幸村もも、何とも思ってはいないようだけれど、いつか、奥州によこせとあの男なら言い出しかねない。
「旦那、眠れなくても取りあえず横になりな。明日からまた忙しくなる」
ああ、と乾いた返事を返した幸村は、もう佐助を見なかった。佐助はお休みと言い残し、姿を消した。
助け舟は出せても、答えはやれない。自分で考えなければ、意味がないから。は気付いたから、あの様な事を言ったのだ。辛くなるだけだと、分かっているから。彼女は、自分の立場を十分過ぎる 程理解していて、だからこそ、その感情を消し去ろうとしている。結局、縁談話があってもなくても、今後幸村から距離を取ろう とするだろう。正しい選択だと、以前の佐助ならそう思った筈だった。幸村も、真田の為を思うならば間違いなく、この縁談を受けるべきだ。 けれども、それが本当に主の為なのか、果たして。矛盾した思いを持つのは、自分も同じだった。ただ、佐助が心の底で思うのは。
二人は今、生きている。大事なものが、手を伸ばせば届く、その距離にあるうちに。
「・・・・手放しちゃだめだ」
あの、見ている者も皆、幸せにしてくれるような、そんな日々を。






あれだけ続いた暑さも嘘の様に和らいでゆき、いつの間にか季節は秋に向かい、駆け足で様子を一変させてゆく。佐助が案じていた通り、 躑躅ヶ崎館の、何かが変わってしまった。大助は縁談に猛反対し、の諌めもこれだけは聞けぬと、聞く耳を持たない。は一見、今までと変わらぬように見えるが、主に対してだけは見えない線を引くようになった。幸村はその小さな変化を感じ取り、 戸惑い、それでもどうしようにも出来ずに、 もやもやとした心を抱えたまま、躑躅ヶ崎館では、時だけが過ぎていく。あれから十日。幸村は、縁談の返事をまだ出せずにいた。

「筑波嶺の、なんだったかなぁ・・・」
歌の続きがなかなか思い出せずに、は文机の上で頬杖を突いた。高校生の頃、古典の授業で覚えさせられた百人一首の歌。一人の時間、誰もいない室内で、 その歌の、意味だけが無性に思い出されて、溜息ばかりが零れ落ちた。いつからだったのか、そんなことを延々と考えながら、 ややあって、ふと続きを思い出す。
「筑波嶺の・・・嶺より落つる、みなの川、恋ぞつもりて、ふちとなりぬる」
そのままずるずると突っ伏した。ここ数日、何だかとても疲れてしまった。
「小倉百人一首か」
声がして、驚いて振り向けば、腕を組んだまま、開いたままの障子に凭れ掛かる、独眼の男が一人。
「政宗様・・?いついらしたのですか?」
お久しぶりです驚きましたと、が立ち上がろうとすると、政宗に構うなと手で制された。
「後朝の歌か。Hum、そういうことか・・・やるねぇ真田も」
「違います!大体、どうして相手が幸村様になるんですか!」
「But you love him,right?」
投げかけられた言葉に思わずぐ、と詰まって、は、諦めたように肩を竦めた。
「・・・・・・そこは、否定しません」
「ちっ、やっぱり俺が言ってること、分かってんじゃねぇか」
政宗は少し拗ねたように言いながら、無遠慮に室内に入って来ると、文机の横にどかりと座り込んだ。は何も言わずに、ただ小さく笑って見せた。時折、前触れもなく甲斐までやって来るこの奥州の主は、何故か甚くを気に入ったらしく、フレンドと言って憚らない。この時代には稀なほど、現代人に似た感覚の持ち主で、 こんな先輩大学にいたなぁと思いながら、いつの間にか政宗のペースに巻き込まれ、変な友情が育まれてしまった。
「散々、言ってる言葉が分からないとしらを切ってたお前が、どういう心境の変化だ?」
「・・・分かりません。でも、先程の話は秘密にして下さいませんか」
「思い悩んでるうちに、小町みたいになっちまうぞ」
「いいんです、それで」
横目で暫くを見ていた政宗は、返事はせずにに文机に肘を付いて、寄りかかった。
「・・・縁談の話、聞いたのか?」
「館中、誰でも知っています」
「で?」
「?」
「Is that all?側室になってやるくらいの根性見せてみろよ」
「また突拍子もない事を・・・」
呆れ眼で政宗を見れば、「Why?」と涼しい目で逆に言われて、は言葉に詰まった。
「歳か?身分か?気にしてんのは。あいつは、そんなもん気にするような男には見えねえが」
「気にするもしないも、幸村様は私の事を、ただの乳母としか思っておりません。それに、幸村様は何があっても側室は持たぬと。 お一人だけを、生涯大事にする御方です」
「欲のねぇ女だな。All right!I’ve made up my mind.そう言うんじゃあ、俺にも考えがあるぜ?」
政宗の左目が、面白そうに細められた。
「アンタ、奥州で嫁げ」
唖然としたが政宗を見ると、素知らぬ顔で更に続ける。
「うちに似合いのやつが丁度、幾人かいる。真田の様に、嫁一人いれば十 分って堅実なやつばかりだから、安心しろ。好きなのを選ばせてやる」
「は、話が飛びすぎです!」
「また子を産めばいい。そいつだけは、紛れもない、お前の血の繋がった家族だ」
「そういう事じゃありません!そんなの求めてません!大体私は、誰だろうともう嫁ぐ気もありませんし、甲斐から離れる気もありません!」
「やめておけ。好いた男が別の女と一緒になるのを、傍で見ていられんのか?病んじまうぞ、ここが」
政宗は親指で、とんとん、と胸を指した。
「今となっちゃあ、乳母がお前でなくちゃならない理由もねえだろ」
そんなことは、にも分かっている。
「・・・忘れますから、」
「忘れる?出来やしねぇよ。お前はそんな器用な女じゃねぇ。さっきの歌は、アンタの心、そのものなんだろ。 永い間かけて積もり積もった想いってぇのは、一日やそこらですぐに忘れらるような、そんな代物じゃねぇはずだ。 嫁ぎたくねえってんなら、それでもいい。とにかく、ここを出ろ。館を辞めんのに、この話を利用すればいい。その後奥州に来るも来 ないも、お前の自由だ」
「・・・何故、そこまでして下さるのですか?」
「俺は、お前みたいに諦めちまったやつを見てると、昔の俺を見てるみたいで胸糞わりぃんだよ。真田とガキには俺が話す。いいな」
「私は奉公人ですので・・。幸村様がお命じになるなら、それに従うだけ、です」
「Good girl.なら待ってろ。今夜話しを付ける。悪いが、今回はあまり俺も城を空けてられねえんでな。三日後には甲斐を発つぜ」
政宗の示した、ひとつの道筋。ちよの希望とは相反すれど、確かに現実は、政宗の言う通りに思えた。幸村が頷くのであれば、 受け入れるしかない。は無言で頷いた。



「ならぬ!」
声を荒げた幸村に、どこまで予想通りなのだと吹き出したくなるのを我慢して、政宗はなんとか平静を装って見せた。 幸村の、盃を持つ手が、わなわなと震えている。それは怒りか、失う恐怖からか。
視察帰りの幸村と、夕餉を共にし酒を酌み交わし、近況を語り合いながら、お互い程よい酔いが回ってきたところで、政宗は「話がある」と、例の話を切り出した。まあそう上手くは事は運ばぬだろうと、政宗が考えていた通り、躑躅ヶ崎館の主は、全身で拒否を示した。
「Huh?何が駄目なんだよ?」
は、大助の乳母に御座る!居ってもらわねば困る!」
こいつもか、と政宗は鼻を鳴らした。もそうだが、何故そこを抜きで考えられぬのか。政宗はじろりと目を細め、話を続けた。
「あんたの息子なら、遠の昔に乳離れしてんじゃねぇか」
「乳をやるだけが乳母では御座らぬ!あれは母代りを、」
「将軍直々の縁談が持ち上がってるって聞いたぜ?ならもう、母親代わりもいらねえだろ?」
「もうよい!!そんな話をしに、貴殿はわざわざ甲斐まで参られたのか?ならば無駄足で御座いましたな、この話はここまでで御座る。 これ以上話すことはない!」
政宗を、ぎらりと射抜かんばかりに見据えるその眼差しは、間違いなく、嫉妬の炎に燃えていた。 目は口ほどに物をいうとはよく言ったものだ。そんな顔もできんのか。面白れぇと、政宗はにぃと口の端を上げた。
「悪酔いされたのなら今宵はもうおひらきと致そう」
幸村は杯に残った酒を一気にあおり、立ち上がった。「お先に失礼いたす!」と、大股で部屋を出て行こうとする幸村に向かって、 挑発するように政宗は言った。
「なら、なんで今まで独りでいさせた?」
ぴたりと止まった背に、尚も続ける。
「甲斐でさっさと縁を結ばせてやればよかったんだよ。夫を持ち、男子でも産めば、真田の跡目とは乳兄弟になる。死ぬまでは甲斐で安泰に暮らせる筈だ。俺がアンタの立場なら、そうしてやった」
が、今まで甲斐に居られたのは、一重に幸村の格別の計らいがあってこそだ。 将軍肝煎りの継室が奥向きを仕切る様になれば、どうなるかわかったものではない。大虎の勧める縁談なれば、悪い女子ではなかろうが、 あの幸村との様子を見れば、普通はその関係を疑ってかかるだろうし、嫉妬深い女なら、追い出すなりなんなり動くだろう。
「家族同然と言いながら、独り心許無い立場のまま置いておいたのは何故だ?」
その言葉に酷く惑乱したのか、振り向いた幸村の顔からは色が消えていた。
「決めんのはだ。アイツが諾と言うんなら、連れて行く。」
暫く無言のままでいた幸村は、ふらりとそのまま出て行った。
残された政宗は一人、銚子を傾けた。杯を片手に脇息に肘を付く。楽しみにして来たあの男との仕合も、 あの様子では此度は出来そうにない。ちっと舌打ちながら、先ほどの幸村の様に、ぐいと杯を傾けた。
「さあ、どうでる?」
空になった杯になみなみと酒をまた注ぎ、今度は上へと掲げた。 これでいんだろ?と政宗が言えば、天井裏で、かたり、と小さく音がした。



2012.12.15