ドリーム小説
小さな手に
館に来た日の夜、任務から帰還した猿飛佐助にそれは
それは細かい質問の数々を受けて、動揺を隠しながら答えるのが大変だった。表情は一見にこにこしているように見えて、
それでいて全てを見抜こうとする鋭い目に内心怯みながらも、動揺を見せないように答え続けた結果、
「色々聞いたけど、まあもう決まっちゃってる訳だし旦那が認めたんなら俺様には何も言えないんだけどさ。一応、ね。旦那って、野生の感?
っていうの?、凄いからねぇ・・・。言いたいこと色々あるけど、その辺信用し
てるから」
と、飄々と言うので、は主に向かってそんな砕けた態度でいいのだろうかと驚きながら、とりあえずその場は終了したのだった。後でについて調査したのかもしれないけれど、結局は何も出てこない筈で、自分はきっとずっと彼の中で怪しい存在のま
まになるのだろうと思った。この人に認めてもらうにはきっと、真摯に務めて行くほかないだろう。
が部屋を辞す折に、歩き方が不自然なのに気が付いたのか、佐助が急に足を見せろと言って、ぽかんと反応できずにいたら、
足払いを受けて転がされた。がしっと足首を掴まれ問答無用で足袋を脱がされて、
思わずひいっと悲鳴を上げる。足の酷い惨状を見て佐助は「なんで早く言わないの!」
と怒りながら懐から
塗り薬の様なものを取り出しての足の先に容赦なくぐりぐりと塗りだした。痛くて涙が滲んだけれど、ぐっとこらえてその時間を耐える。「よく気付きましたね」と
言うと、「忍だから」と言った彼に、やはり只者ではなかったと、思わず「本物ですか?!」と聞いてしまい呆れられたのも記憶に新しい。
躑躅ヶ崎館で始まった新生活は、初めは驚くことばかりで戸惑いもあったけれど、主の優しい性格も相俟ってか、館の者は
皆親切で、何かとこの世では世間知らずなにも優しくしてくれた。多岐から聞いたのか、の身の上に同情してくれたようで、その事については誰も触れてこなかった。本当のことを言えない事に
申し訳なさを感じつつも、この世界で身の証を立てられぬであるので、心底ほっとしたのだった。
には大助の部屋横一室が与えられ、そこに身の回りの物を一式整えられて乳母としての生活がスタートした。とは言っても、の仕事というのはあくまで大助の身の回りの面倒を見ることのみで、おしめを替え、乳をやり、子守唄を唄い、いつも側にいる、それだけでよかった。仕事上清潔にしていないといけないという事で、特別に湯にも浸からせて貰えるし、現代育ちのにとってはありがたいこと尽くしだった。よくもまあ、こう直ぐに良い仕事に巡り合えたものだと今更ながらに思う。
それ以上に、仕事という枠を超えて、日々成長していく大助を見守ることが今のの生きがいとなっていた。大助こその救いの手であった。が、生きていくため、の。
がこの不思議な世界に来てから、ふた月が経とうとしていた。
大助は生後五ヶ月目に入り、首も大分座ってきている。外気浴から少しずつ始め、今では抱いて、庭を日光浴させるのが日課になっ
ている。乳を与える間隔も長くなったお蔭で、睡眠も纏まって取れるようになったので、多岐に頼んで道具を貰い、空いた
時間にちくちくと裁縫まで始めた。現代のベビー用品は此処では手に入らない。ならば自分で作ればいいじゃないかと、これか
らの事を考えて必要になりそうなものを、そんな昔ではない過去に色々と作っていたのを思い出しながら、少しずつ増や
していった。
やがて季節はじめじめとした梅雨に入り、雨が増えると大助と二人、屋内で静かな時を過ごす事が多くなった。時折前触れもな
く幸村がやって来ては大助を抱き上げ、「休憩する」と、女中に茶を用意させ一服しながら、他愛ない話を二人に聞かせて、また政務に戻っていく。やがて梅雨が明けてもそれは続いた。そして今日もまた。
「暑いなぁ・・・」
時代的には過去なのだろうと思うこの世も、温暖化の現代よりはかなりマシとは言え、やはり夏は夏。おまけにノースリーブに短パン等ある訳もなく、
ここでは肌を露出するのははしたない事であるので、必然的に支給してもらった薄手の小袖をきっちり着こまねばならない訳で。ちよの室と大助の部屋、襖戸を全て
開け放ち、限りなく風通しのいい状況にはしてあるが、盆地故の日中の茹だる様な蒸し暑さだけはどうにもならなかった。
はちくちくと縫物をする手を時々止めて、小さな敷布の上で寝る大助に、パタパタと団扇で風を送ってやると、少しマシに
なったのか気持よさそうにしている。大人でも根を上げそうな暑さなのに、体温が高い子どもはかなりの暑さに違いない。それでも睡眠という欲求の
方がまだ勝るのか、こうして寝ていられるのが凄いところである。しかし、日中の暑さとは反対に、夜など少し肌寒い程で、冬の寒さが逆に気に
なりだして、まだ夏だというのに今から大助の為に、目下さっと羽織らせられる便利なポンチョの様な冬用の外套を仕立てている最中なのだ。
大助はまだ寝返りができないので、傍で針仕事もできる。この間に何とか仕上げたいと思っているのだが。既にもう少し大きくなったら散歩に使お
うとスリングなどの大物も仕上げていたりする。ミシンがないので、何度も返し縫をして頑丈に作るのが大変だった。
「あ、起きたかな?」
大助を見やると目を開けていて、手足をバタつかせていた。これはお腹が空いた時の合図なので、抱き上げていつもの様に乳をやる。
飲み終わった後、大助の体はかなり汗だくで、女中に桶に水を汲んできてもらって大助の肌着を脱がすと、ぎゅ、ぎゅ、と手拭いを絞って身体を拭いてやった。
「今日も暑かったですねぇ」
少し暑さが和らいだのかご機嫌がいいようだ。新しい肌着を着せようとして、そうだ、とはそのまま大助の足元の方へ回ると、大助の体を優しく撫でだした。簡単なベビーマッサージ。
「大助様はこれが好きですよね」
優しく優しく、愛情をこめて。こうすると、時々愚図る大助も大人しくなり、やがて寝てくれるのだ。
「先程から一体何をしておるのだ?」
急に背後の至近距離から声がしてビクッと振り向くと、いつからそこにいたのか、何やら不思議そうな顔をした幸村がの肩越しに大助を覗き込んでいた。
「ゆ、幸村様!吃驚したました。ご休憩ですか?あの、これはベビーマッサージ・・じゃなくてええと、按摩みたいなものです」
大助も父の姿に気が付いたのか、寝転がっている敷布の上で嬉しそうに手足をバタつか始めた。
「按摩とな。斯様に幼い赤子にか?」
「はい。良いスキンシップ・・ええと、良い触れ合いになるんです。小さいころに沢山触れてあげると、愛情深い良い子に育つと言われています。何れ跡継ぎとして厳しく接しなければならない時が来るのだと思いますけど・・・。それまでは沢山抱いて触れて差し上げて下さい」
「言われなくとも、このように愛い者を抱かずにおれようか。ふむ。その按摩とやらは俺にもできるか?」
「はい。難しいことはありません、簡単ですよ。お教えしますのでやってみますか?」
「ああ、頼む」
は幸村に場所を譲ると、二人の傍らに座りなおした。
「いいですか、このように目を見ながらすると大助様も安心します。それから相手は赤子です、力を抜いて、優しく触ってあげて下さいね。それから、」
「む、加減が難しいな」
は、妊娠中に図書館やら書店で暇があれば読み尽くした育児書の知識が、此処でこうして役に立とうとは夢にも思わなかった。母親学級でも実践的なことも色々と学んだし、その経験がこういう形で生きようとは誰が思っただろう。幸村も初めは拙い手つきだったのが慣れてきたのか徐々に力加減もわかってきたようで、楽しそうに大助を触摩っている。
「大助が笑うたぞ!何やら嬉しそうだ!」
「お上手ですよ幸村様。流石お父上様ですね」
本当はちょっとくすぐったいんだろうな、と思いながらも、嬉しそうな幸村には黙っておく。
「其方にそう言われると自信もつくというものだ。多岐は小言が多すぎる」
「佐助様も、では?」
「ああ、そうであった!佐助は忍なのに何故あのように子守に長けておるのか」
全く、とぶつぶつ言っている幸村には我慢できずに小さく吹き出してしまった。
「・・・今笑うたな」
「もっ申し訳ありません!」
口調とは裏腹に幸村も怒った訳ではなさそうで、表情は楽しそうに笑っている。
「しかし、子を育てるとは斯様に大変な事とは思わなかったぞ。其方も、佐助も、多岐にも、屋敷もの皆に感謝しておる」
「それは私も同じことです。館の皆々様に感謝しています。此処に置いて下さり、こうして大助様のお世話をさせていただけて本当に・・・。
本当にありがとうございます」
救われているのは方だ。三つ指をついて、頭を下げる。その様なことはよい、面を上げてくれと言われて顔を上げる。幸村が大助の脇の下に手を入れて、高い高いするように持ち上げた。
「利世を失い、呆然自失の俺を皆が助けてくれた。大助がいるのだからしっかりしろと。父親として恥ずかしい姿を見せるなと。
利世もそのようなことは望んではおらぬと多岐に叱られたりな。ああでも、其方が館に参る前は、正直、大助がああだったからな。
悲しんでいる暇などすぐに無くなってなってしまったが。そうであろう?おぬしは俺に似て声が大き過ぎる!」
可笑しそうに笑って向かい合う大助に顔を寄せ語りかける父の声に、大助も何か言いたいのか、うーあーと幸村の顔にぺちぺ
ちとその小さな手を伸ばしている。幸村は大助を片手に抱きなおすと、ふと庭の方に目を向け遠くを見た。
「こうして大助を見ておると、利世を思い出す。生きておればと、思ってしまうのだ」
幸村にしては珍しい表情のない声だった。
「利世様とは・・幸村様の亡くなられたご正室様の事ですよね?」
「ああ」
「一度お会いしたかったです。どのような方だったのか・・・」
何気に言った一言だったのだが、無神経な質問だったかもしれないと慌てて、
「申し訳ありません!あの、純粋に大助様の御母君が、どのような方だったのか、その、知りたくて・・」
幸村はいつもの調子に戻ったように、快活に話しだした。
「ああいや、よいのだ気にいたすな。そういえば其方には大助の母の事、あまり話したことがなかったな。今日はもう政務も終わった故、話してやろう。
うむ、どこから話すか・・・。利世は、大谷吉継殿のご息女でな、出会いは――」
2012.07.29