ドリーム小説
変わりゆく季節
甲斐は間もなく実りの秋を迎えようとしていた。長かった夏も終わりを告げ、日増しに長くなる夜の時間を、未だに早寝に慣れぬは、如何に時間を使おうか思案しながら過ごしていた。
大助と言えば、お食い初めももう済ませたのだし、もうそろそろ始めましょうと、子育てに長けた年配の女中に勧められ、
白湯などの離乳食を始めた頃から、例の泣き癖も随分と減ったように思われた。良い傾向だと、ある日幸村が、「佐助、試しに抱い
て見よ」と、怯む佐助に無理やり抱かせてみたところ、以前の様な、父親譲りの雄叫びのような泣声が、
いつまでたっても上がらない。渡された体制そのままに固まって、あああ、くる!、と身構えていた佐助だったのだが、
拍子抜けしたのか、ぽかんとしている。おお、と感嘆の声を上げる幸村を他所に、「嘘!泣かない!」と、我に返った佐助は、
感激のあまり、そう、効果音をつけるとしたら、まさしく「じーん」と、いつまでも感動の余韻に浸っていた。幸村が
後に、にこんな話をしてくれた。大助が生まれた折に、泣きやまない大助を見て、「俺様なら絶対大丈夫!」どーんと任せてくれと、
自信満々で抱き上げて、後は言わずもがな。その一件が、ずっと尾を引いていたらしい。そんな話を聞いても、からしてみれば、抱かずともあの手この手で大助を寝かしつける技を持っている佐助は、実は忍という皮を被った、一番の子育ての
プロなんじゃないかと、こそり尊敬の眼差しで見ていたりしている。
一度この話が広まると、今まで遠慮して遠巻きに見ていた者たちも、喜び勇んで、暇を見つけては、若君様、大助様とやって
来て、「私が」「いえ、私が」と、まるで競い合うように手伝いを志願しに来る。急に人々が押し寄せてくるようになり、は驚き、幸村も多岐も、困ったことだと思い
ながらも、館内が本当の意味で明るさを取り戻したことにほっと胸を撫で下ろし、暫くはそのままにさせていた。しかし、その先頭に立っていた
のが、真田忍隊だったというのが、主の幸村としてはおかしくも、人好きの、なんとも人らしい彼らを、誇らしくも思うのだった。
これを機にと、幸村が、大助付の女中を増やした。今までが少な過ぎたらしく、人が増えたことでの周りは大変賑やかになったのだが、この頃から女中らがのことを、「様」と呼ぶようになった。驚いて、そんな身分ではない、その呼び方はやめて欲しいとが言っても、「様は、幸村様のお認めになった、若君様の乳母殿でございますれば」そう呼ばせていただきたいのでございますと、
やんわり拒否されてしまう。多岐に言ってなんとかしてもらおうとしても、「あなたはこの真田家跡継ぎの乳母なのですから、なんらおかしく
はありませぬ。しばらくすれば慣れますよ。皆に認められたのだから喜びなさい」と、逆に窘められる始末だった。
さて。此度、幸村が新しく付けた女中の中に、染という女がいた。が乳母の募集を見て、初めて館に来た際に案内してくれた女中だと気付いて、「あの時はお世話になりました」と、が礼を言うと、「貴方様のような方が来てくださって、本当にようございました」と逆に頭を下げられて、いえこちらこそ、
ともまた頭を下げると、お互い平伏合戦になってしまい、最後には二人顔を見合わせて吹き出してしまった。とは歳も近く、気安く色々と話してみれば、この染はもともと御正室付きの側女中だったらしく、若君誕生の折もそ
の場にいたそうだ。仕える主を失い、しばらくは悲しみから立ち直れず、一度は大助付きにならぬかと声を掛けてもらうも、それを
断り御裏方に徹していたのだと。
「此度、幸村様より是非にと、格別のお言葉をいただき、こうして若君様のお傍に上がることになり
ました。本当に・・・有り難き幸せにございまする」と、大助を見て涙ながらにあの時は等々語るのに、も涙を誘われ、感慨深く聞いている。気さくで優しい染は、その後、にとって、心を割って話せる大事な親友のような存在となっていった。
そうこうしているうちに、すっかり秋は深まって、9か月目を過ぎたあたりの大助は、首もしっかりすわり、寝返りも見事にう
てるようになっていた。思わず触りたくなる、ふっくらとした身体つきは愛らしく、父親に似て少し癖っ毛の茶色い髪をふわふ
わとさせながら、一人遊びでもしているのか畳の上で寝返りをしながらころころと転がっている様は、目に入れても痛くない
とはこの事である。誰もが認める、今をときめく躑躅ヶ崎のトップアイドルも、今では一人で座ることもお手の物で、元気よ
くハイハイを始めたと思うと、時々座るの膝につかまって、よじ登るようにして立ち上がるような仕草も見せる。そこに幸村が居合わそうものなら、
「もう少しだ!男なら立て!踏んばらぬか!」と、まるで某ボクシング漫画のセコンドさながらの声援を掛けるので、
これでは立ったあかつきにはどれだけの大騒ぎになることやらと、は考えるだけで疲れてしまった。
体重も大分増えて、散歩の際に腕に抱えて歩きまわるのが大変になってきたので、首も座ったしいいだろうと自作の
ポーチスリングを使い始めると、出産経験のある女中達から
物珍しそうにそれは何かと尋ねられ、あれやこれやと説明しているうちに、いつの時代も変わらない子育て談義に花が咲いた。
「参ったぞ!」
躑躅ヶ崎館に、今日も元気な館主の声が響き渡る。なんとも爽やかな秋晴れの青空が、気持ちのよい日である。しかし、
室内は空で、幸村がきょろきょろと辺りを見渡しても、愛息子とその乳母の姿はどこにも見えない。
「誰もおらぬのか?」
少し声を大きくして呼びかけると、別室から畳まれたおしめを抱えた染が、慌てて現れた。
「幸村様!御出でに気が付かず、失礼いたしました。お二人なら、四半時ほど前に御庭へ散策にお出になられました」
「四半時前?何処まで行ったのだ?」
「いつも御庭をゆるりと一周して帰っていらっしゃいます。もうそろそろお戻りになられる頃とは思いますが・・・誰か迎えにやりますか?」
立ち上がりかけて、あ、と染が声をだした。
「そういえば、ねこじゃらしを探してくると・・・」
「ねこじゃらし?」
「私も、初め何の事かわからず、お尋ねしました所、どうやらの狗尾草の事のようです。確かに、ねこに向ければ、戯れ付いてきますもの。様のお生まれの地域では、そう呼ぶのでございましょうね」
「成程、それでねこじゃらしか。狗尾草といえば俺も幼き頃、勉学の最中につい転寝しておると、兄上に鼻をこう、もそもそとやら
れてな、飛び起きたぞ!最近大助は顔を見に来ても眠っていてばかりでつまらぬゆえ、うむ、」
腕を組み何か企んでいる様子の幸村に、意地の悪い事を考えておられるのではございますまいなと、染がじと、とした目で見れば、
ちょっと擽って笑わせてやるくらいよかろうと、悪びれずいう。これも、可愛さ余っての事とは、染も理解してはいるのだが。
「されど、館内の庭は庭師に管理させておる。あの様な草は抜かれてしまって、見付からぬのではないか?」
「確かに左様にございます。やはり誰かに、」
「なれば、俺が探しに行こう」
染の話を遮って、草履を持てと、どこか楽しそうな幸村に首を傾げながら、言われたままに踏石の上に草履を並べて置くと、直ぐに戻ると
言い置いて出ていった。
程なくして、何かを手に一人で戻ってきた幸村を見て、あら?と思いながら、
「お会いになれませんでしたか?・・・まあ、それは!」
探しに行くとはそちらの事だったのでございますか・・・と染に呆れられながらも、
幸村は素知らぬ顔で、どかっと縁側に腰を掛けると、手に持ったそれを、懐から出した懐紙の上に大事に乗せ置いた。
「ねこじゃらし、生えてませんねぇ・・・」
綺麗に整備された庭では、雑草として抜かれてしまうのか、なかなかの目当ての物が見つけられない。整備の行き届いた表の庭は諦めて、北側の縁の下などを覗きながらぷらぷらと歩いているうちに、
いつの間にか結構な時間が過ぎてしまっていたようだ。残念に思いながら、そろそろ帰りましょうねと、スリングの中の大助を覗き
込むと、こくりこくりと船を漕いでいる。連れ周し過ぎたと反省しながら寝やすい体制に抱えなおして、のんびり歩いて戻ると、端近に座る
染の隣で寛ぐ幸村の姿を見つけて、慌てて駆け寄った。
「幸村様、申し訳ありません、お待たせしてしまいましたか?」
大助をスリングの中から出して、染にお願いできますか?と渡そうとしていると、横からにゅっと現れた幸村の腕に攫われて
しまった。よく寝ておるなと、そのまま室内へ連れて行く後姿を見ながら、驚かさないで下さいまし、と染は溜息をついてから、
女中を呼ぶと、隣室に若君の寝床を用意するよう申しつけた。には別の女中から、どうぞと、濡れ手拭いが差し出される。最近外から戻るといつの間にか用意されていて、過分な扱いに甚く恐縮しながら、
いつもすみませんと礼を言って受取る。縁側に腰かけて、足を綺麗に拭いてから部屋に上がった。これも染の差配なのだろう、
彼女が来てからの生活は、が何もせずとも万事全てが回っている。その徹底した働き振りは、さながら戦国時代のキャリアウーマンといったところか、はその有能さを身を以て知ったのだった。
「待つのは俺が好きでしていることだ。気にするな。それより、散策はどうであったか?」
「はい。天気も良いので、とても気持ちがよかったです。今日は池の周りにたくさん蜻蛉が飛んでいるのを見つけました。
大助様は、蜻蛉がお好きなようです」
「蜻蛉?そうか、大助は勝ち虫が好きか!それはいい、強きおのこになるぞ!」
声が大きゅうございます!と間髪を容れず入った染の声に、染は多岐に似てきたな・・・などと、幸村が独り言つ。
しかし大助は大助で、腕の中で何事もなかったかのように寝ている。支度が整いました、との声を受け、幸村から大助を預かると、隣の部屋に敷かれ
た褥の上にそっと寝かせた。最近、一度寝付くとお腹が空くかおしめ以外、とんと目を覚まさない。手がかからなくなったのはよい事なのかも
しれないけれど、それが少し寂しかったりもするから、子育てとは不思議だ。幸村から先程の続きをと催促され、また話し始めた。
「最近色々なものに興味を示されて、指でさしながら前をお教えするようにしています。今日は先ほど申し上げましたように、蜻蛉が沢山飛ん
でおりました。蜻蛉ですよと指でさしながら話しかけていると、特に興味を示されて、楽しそうに目で追いかけたり手を伸ばしていたりしていらっしゃいま
した。そういしていると、不意に蜻蛉が大助様の手に止まりました。怖がらずにじっとしばらく見つめていらっしゃいましたら、今度は頭にもう一匹。
どうも好かれたようで」
そうかそうかと嬉しそうに頷く幸村に、蜻蛉は縁起の良い虫なのですか?と尋ねると、なんだ知らなかったのかと、謂れを語り始める。
その話を興味津々に聞きながら、ふと幸村の前に、懐紙に包まれねこじゃらしを見つけて、
何故こんなところに?と視線は幸村とそれの間を行き来する。
「あの、それは・・・」
「ああ、散策中に探しておったのはこれであろう?染に聞いた」
「あっ、はい。そうです。でも、見つけられなくて・・・。この辺りは大体探したと思いましたが・・・」
一体何処に?とが尋ねると、幸村がそれを一つ、手に取った。
「館の外に出ればいくらでも生えておる。このようなもの、一体何故探しておったのだ?」
「小さい頃の事を思い出しまして・・。秋になると母とよくねこじゃらしを探して遊んでいました。それで、」
「それで?」
幸村の問いかけに、はうっ、とした顔をして、言いにくい事でもあるのか口ごもると、あの、その、となかなか口にしない。
「どうした、何かやましい事でもあるのか」
聞かずともなんとなく察した幸村が、隠さず正直に申せ、と意地悪く促すと、
「・・・大助様と遊ぼうかと・・・」
「遊ぶ?」
その・・くすぐって、と、怒られると思ったのか、後は尻すぼみになった。
「なんと!その様な事を考えておったとは!この真田の大事な跡継ぎを、ねこの様に擽ろうとは、まこと大胆不敵な乳母であるな!」
わざとらしく驚いてみせれば、やはり不敬であったかと、は慌てて、申し訳ございません!と手をついて頭を下げた。
「染、これは花器にでも生けておけ。大層な花でなくとも、秋らしくてよかろう。が使わぬよう、見張っておれよ」
流石の染も我慢できずに吹き出した。落ち着くと、コホンと咳を一つ、
「これは異な事を。先程ちよ様と同じことを申されて、わざわざ御自分の足で摘み取りに行かれたましたのは、一体何処の、どなた
様でございましたか?」
このお方こそ見張っておかねばなりませぬ。元を明かしてしまえば幸村も、悪戯をばらされた童のように首をすくめて、いや、その、と先ほどののように小さくなる。顔を上げたも、よくわかっていないのか、今度は染と幸村を交互に見ながら目をしばたたかせている。どうしてか、の前で幸村は、時々このような事をする。染の知る限り、それは以前、利世の前でもそうだったように、
家族と思う者の前だけで見せる、幸村の姿だった。それを、嬉しくも、今はもうここにはいない主を思い、ほんの少しだけ、
寂しく感じながら。
「様、今のは幸村様の御冗談にございますれば、お気になさいませぬよう」
幸村様も人が悪うございます、と、笑いながらそう申すので、もやっと、単にからかわれただけなのだと気付いて、ほっと一息はいた。
その様子を天井裏から見て、染と同じく、複雑な思いに駆られている忍が、一人。季節が変わっていくように、
人の想いも静かに変化していくものだ。それがいいことなのか、佐助には分からないが、もう誰も悲しむことのない、こんな日々が、
いつまでも続けばいいと、そう願わずにはいられなかった。
2012.08.29