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ドリーム小説 上京


季節というものは、何が起ころうとも変わらず巡る。甲斐にも再び春がやって来ようとしていた。
初春、利世の一周忌の法要が静かに執り行われた。昨年の不幸を、誰も忘れたわけではない。けれども、皆がこの 季節を変わらず迎えられるのは、いつ果てるとも知れぬ、戦国の世を生き抜いた者たちの強さなのだろうか。 参列していたも手を合わせると、大助が真似をして手を合わせた。その意味も分かっていないだろうその小さな手の上から、 包み込むようにもう一度 も手を合わせ、大助の母君、そして、自分の家族に想いを馳せ、その冥福を心から祈った。
「ちょっと、一人にしてやって」そんな佐助の声に、皆がその場をそっと後にする。一人になった仏間で、長い間手を合わせていた幸村は、徐に立ち上がると 、前を見据えた。ここで、彼の人を前に改めて決意する。前だけを見る。生きる者たちの為に。己のすべき事は山程ある。 故に、寂しさは心の奥底にぐっと堪えて、前だけを。されど、ふとした瞬間に思い出す数々の思い出が、 悲しい物だけではないのを、幸村はもう知っている。春は幸村にとって、愛する者を見送った哀しい季節であると共に、 我が子が生を受けた、愛おしい季節でもあった。

庭の彼方此方から、新芽が顔を覗かせ始めた。は、よちよち歩きの大助を連れ、館の広い庭を歩きながら、本格的な春の到来を感じていた。どことなくそわそわとし始めた 館内は、春の陽気の所為だけではないだろう。まるで主の心が移ってしまったかのようで。子連れの長旅を心配し、もう少し暖 かくなってからと我慢していた幸村が、ついに桜の蕾が綻び始めたのを目にして、「二日日後には甲斐を出 立するぞ!」と、今にも一人飛び出して行かんばかりに宣言すれば、二日後とはまた急な話になったと、館中がてんてこまいの大騒ぎになった。幸村は急ぎ、上京の由を伝える書状を認め、京へと 使いを送る。主の気の早い命令で、予め準備に余念はなかったとはいえ、それでも足りないものはないかと館内は 確認作業や荷造りに追われ、人々がばたばたと廊下を右へ左へと走り回っているうちに、あっと言う間に京へ旅立つ日となってしまった。
日も昇らぬうちにも起こされ、目を擦りながら起き上がる。のろのろと小袖に着替えて障子戸を開けると、 既に男衆が荷を外へ運び出しているところだった。当たり前なのだけれど、はこのような旅は初めてなので、勝手がさっぱりわからない。言われるままに早々に旅装束に着替え、 支度を終えれば、はいどうぞと朝餉代わりと握り飯を女中に渡され、皆の邪魔にならぬよう、隅の方に座ってそれを頂いた。 慌ただしく動き回る人々を、まだ眠気の残るぼおっとした頭で眺めながら、新幹線もバスも車も使わない旅が、どんなものに なるのだろうかと想像していた。此度、は大助と共に駕籠に乗り込む事になっていて、思い描いたのは、やはり時代劇でよく見るあれ。そろそろ若君の 準備も致しましょうと染に言われ、半分寝たまま状態の大助を、着替えさせ抱き上げて、さてこちらも準備万端。「こちらへお乗りください」 と促され、いざ乗り込んだ駕籠は、想像通り、やはり時代劇で見たような立派な家紋入りの黒塗りのものであった。 なんだかお殿様気分だなぁと思ってしまったも、大概浮かれていたのではないかと思う。そんなこんなで皆に見送られ、館を出発したのはようやく朝日の昇り始めた頃だった。にとって 、甲斐に来てから初めての旅だった。

さて一行、先ずは甲州街道を進み、中山道を目指す。最近整備されたばかりらしい韮崎宿を通り過ぎた辺りで 、幸村がふと馬を止めた。
「少し道を外れるが、旅の祈願に寄って参ろう」
と、寄り道したのは、武川村の実相寺。は名を聞いても直ぐにはぴんと来なかったのだけれど、着い て見ればそこは過去に家族と訪れた事のあった、神代桜が有名な場所だった。
「凄い!凄いです!こんなに咲いてるなんて!」
不可思議なこの世界も、土台はやはりの知る過去の日本のようで、このように思わぬところでの世界との繋がりを見せる。の世では樹齢二千年前後と言われており、一時期木が弱り、 もう駄目かと言われていたところから、人の手によって見事に復活し、今も毎年多くの人々を感動させてくれていた。 それでもやはり、ここまで見事ではなかった様に思う。カメラなどないここでは、これも一期一会と言っていいのか、 ならば目に焼き付く様にと、は、暫くの間立ち止まり眺めていた。京から帰るころには、綺麗な葉桜に変わっているだろう。
旅の祈願も無事終わり、今度こそ真直ぐ京に向かい進み出す。は駕籠の小窓を開けながら、通り過ぎる景色を新鮮な気持ちで見ていた。そうして館を出て数時間経った かといった頃、じっとしていられなくなったのか、狭い駕籠の中でちょろちょろと 動き始めた元気一杯の大助に対し、は完全にグロッキーになっていた。駕籠の慣れない予測不能な揺れに酔ってしまい、行儀が悪いとは思ったものの、 外からは見えないからいいよね・・・と、思い切って後ろに寄 りかかり、少しでも楽な姿勢を取りながら、もう少し、もう少しと耐え忍んでいた。甲斐に来て初めての旅は、初日から乗り物酔いとの戦いになった。

旅の楽しみといえば、各地の宿場に泊まり、その地方の名物を口にする事である、そう言ったのは誰だったか。途中何度か休憩を 挟みながら、日没前に初日の宿場、教来石に辿り着いたが、駕籠から降りたに、その楽しみを持つ余裕は全くなかった。完全に血の気を失っているを見た染が吃驚して、大助を抱き上げると、何故具合が良くないのを今まで黙っていたのですか!と 小言を言いながら、「若君は私がお世話致しますので、どうぞ横になって下さいまし」と申し出てくれた。 は申し訳ないと思いつつ、それに甘えて部屋で横になるけれど、いつまでも身体が揺れている気がして、 なかなか休まらない。そのうち誰かに話を聞いたのか、佐助が丸薬と白湯を手にやって来た。「これ、俺様が作った薬。 よく利くから飲んで、」と手渡され、は天の助けとばかりに、何の衒いもなくごくりと一気に丸薬を飲み込んだ。ありがとうございます、 とお礼を言えば、佐助は照れたのか鼻を摩って、「暫くすれば効いてくるから、よくなるよ」ほら横になって、 とだけ言い置いて、さっさと行ってしまった。言われた通り暫く横になっていたら、胸がすっとしてきて、 これがまた本当によく利くものだから、忍ってやっぱりすごいと、はまた佐助に驚かされるのだった。

様、と呼ぶ声が聞こえて、が身を起こすと、襖が開いて染が顔を覗かせた。
様、夕餉のお時間に御座いますが」
あっ、と染の後ろを見ると、外はすっかり日が暮れてしまっていた。
「すみません、どうやら寝てしまってたようで、」
「いえ、お気になさらず。少しは御気分がよくなられましたか?」
「はい、佐助さんが薬を下さって。とてもよく利きました」
「それはよう御座いました。夕餉はお食べになれますか?」
「頂きます。すっきりしたら、何だかお腹が空きました」
それを聞いた染が小さく笑って、「では早速参りましょう」と案内され、通された少し広めの部屋には、 既に膳がいくつか並んでいて、その一つの前には胡坐の上に大助を乗せた佐助も座っていた。
「気分はどう?」
「はい、おかげさまで、」
「そっか、よかったね。ほら、こっち座って」
手招かれて佐助の横に座ると、大助が佐助の膝からころりと下りて、ちよの膝に移ってよじ乗ってきた。
「やっぱ、ちよさんのほうがいいんだよね、若様は」
佐助が小さく肩を落としていると、聞きなれた足音が聞こえて、「待たせたな!」と幸村が入ってきた。 が驚いていると、佐助が「旅の間は旦那も一緒だよ」、緊張しなくていいよと耳打ちしてくれた。そうは言われたものの、 お殿様である幸村と、食事を共にするのは実は初めてで、皆が席に着き、頂きますと食事が始まっても、なんか変な感じがして、は落ち着かなかった。横で佐助が「ちよさん、これは此処の名物で、」と、あれやこれやと説明してくれているのに、 ついつい幸村が気になって、ちらりちらりと見てしまう。それも何故かというと、なんというか、とにかく食べるのが早い。 食べる所作は流石武家の者らしく美しいのに、黙々と平らげて、おかわりと椀を渡された給仕が急いで盛る様を見て、はなんだかわんこそばを思い出してしまった。
「どうしたのだ?」
視線が気になったのか、幸村が端と椀を持ったまま、首を傾げた。
「すみません、その、よくお食べになるなぁと思って・・・」
「そうか?平素と変わらぬぞ。そういう其方はあまり食べておらぬではないか。先は長い。食べぬと持たぬぞ」
は、はいと言いながら生返事になってしまい、先に大助の口へせっせと食べ物を運んでやる。目の前へ運べばいくらでも食べてしま うその食欲に、そうか、これは遺伝だったのか、「納得・・」と呟いて、少々減退してしまった食欲に負けぬよう、も箸を必死に動かした。

徐々に駕籠の揺れにも慣れたのか、度々佐助の薬の世話になりながらも、下諏訪から中山道に入り木曽路の馬篭宿を通り過 ぎた頃には、も再び景色を楽しむ余裕が出来ていた。その後は大したトラブルもなく、旅は順調に進み、一行は往路最後の 宿泊先になった大津宿を早朝に出発すると、同日申七つ時頃、いよいよ三条大橋に差し掛かった。そこはもう京の都、 帝や将軍の御膝元である。甲斐より遅れて咲き始めた桜が、もうすぐ見事に満開を迎えようとしていた。かつてが修学旅行で訪れた京都とは、やはり随分と違う。碁盤目状に公家屋敷や京町屋の続く景色に、ああ、本当に都に来たんだと、胸が 高鳴った。一行はそのまま西日が照らす鴨川沿いを南下し、東山にある京の真田屋敷を目指した。

屋敷に着くと留守居役の出迎えを受け、らも寝泊まりする部屋へと案内されて、ほっと一息、人目を忍んで固まった身体を解す様に、大きく伸 びをしてから荷解きを始めたところ、
「疲れているところ済まぬが、直ぐに二条城へ向かう故、」
支度せよとの声がかかり、は慌てて行李を開けて着替え始めた。今日はもう遅いので、登城は明日の朝一でとの予定であったのだが、 どうやら幸村に命じられ、佐助が一行の到着を城に伝えに行ったところ、構わぬからすぐに参れとの言伝を頂いたらしい。が例の萌木色の小袖に着替えている間に、染が大助の支度を済ませてくれていた。染らは留守番ということ で、共に城へと向かうのは幸村と大助と、それと従者らほんの数名らしい。佐助も一応同行はするが、顔は出さないと言う。どういうことかと思って 本人に聞けば、会いたくない客がいたんだよねぇとぶつぶつ言いながら、「まあ忍は忍らしく、ってことで」と上を指さしたので、 ああ、天井裏、とも合点がいった。それを残念に思っていると、考えを読まれたのか、 「ちゃんと上から見てるからさ!」、大丈夫!と結局見てるだけなのか、変な励ましを貰った。
再び駕籠に乗せられ、着いたのは二条城。夕闇に灯った明かりに浮かび上がる場内は、どこか浮世離れした別世界のようで。けれどもそこは、 過去の遺構などではなく、生きた人が行き交い、生活感に溢れ、実際に将軍が住んでいるという状況が、にはなんとも不思議に感じる。車寄せで駕籠を降り従者らとはそこで一旦別れ、奥へと案内される幸村に、 其方も来るのだと言われるままに付いて行く。躑躅ヶ崎館よりもずっと広く長い廊下を歩きながら、どこか 夢現のように思っていた将軍謁見が現実になろうとしている。急に実感が湧いて来て、は身震いした。
「あの、幸村様」
「どうしたのだ?」
「私なんかが本当に同席してもいよいのでしょうか?」
「上様にはお許しを頂いておる。何を臆しておるのだ、堂々としておればよいではないか」
「で、でも・・」
「俺が付いておるのだ。心配いたすな」
「・・・はい」
「行くぞ」
いつもの様に頼もしく微笑んで身を翻し、再び長い廊下を進み始めた幸村の背を見つめる。幾日もかけて京まで来た。 今更ここで怯んでいても詮無いのは、も分かっている。の緊張が移ったのか、大助も少し興奮気味で、思わず抱く手に力が籠る。は覚悟を決めて、幸村の後を追いかけた。


2012.10.16